六地蔵(ろくじぞう)

 

 

 

「こんないかい木は、ここいらへんにゃあないぜん。」

 

 「りっぱなけやきの木だなあ。」

 

 久野脇村の人たちは、大井川の渕に浮かんでいる材木をながめては、口々にほめそやしています。

 

 一人の男が言いました。

 

「この木はなあ、なんでも、駿府(今の静岡)のおせんげんさん(浅間神社)の建築材料だそうだ。寸又川の奥(本川根町大間)から切り出したそうだ。」

 

 そのむかし、材木はいかだに組み、大井川の上流から川狩りで流してきました。ここ久野脇は舟着き場で、川狩り人夫が泊まる宿屋も三軒ありました。

子どもたちは、川の渕にとめてあるいかだの上にのっては、一日中遊んでいました。

 

 村人たちがほめたたえたこのけやきの木は、さらに下流へと流され、遠く駿府へと運ばれていくのです。

 

 何日かたちました。

 

「だれだ、あの木を盗んだのは。」

 

「どうわれ、一番立派なけやきの木を盗んだらしいが、神社の材料にする木を盗んだのでは、ばちがあたるぞ。」

 

「このことがお上に知れたら、久野脇村は全滅だ。みな殺しにされるかもしれん。」

(当時は五人組などの制度があり、連帯責任ということが強く言われていました。)

 

村人は青くなり、この木を盗んだ男をさがし出しました。

そして、大きな桜の木(現在の六地蔵の近く)に、村の衆がよってたかって、この盗人を生きたまま、さかさづりにしてしまいました。

 

「悪いことをするとこんな目にあうでな。」

 

と、おばあさんは盗人を指さして孫に話しかけながら、家へと急いで帰って行きました。

一日中河原で遊んでいた子供たちも、さかさづりの男を、こわごわのぞきこんでいましたが、やがて、家へと帰って行きました。日も暮れ落ち、もうだれもいなくなってしまいました。

道行く人でこの盗人に話しかようとする人はだれもいませんでした。ましてや、食べ物を与える人は、だれ一人としていませんでした。

 

 この盗人を遠くから見ていた彦兵衛さんは、「いくら盗人とはいえ、おとましいなぁ。」と気の毒に思いました。しかし、盗人を助けたことが分かれば、自分もさかさづりにされるかもしれません。

 

「そうだ、今夜からこっそりと食べ物を持って行ってやろう。」

 

彦兵衛さんは、夜になると、のこり飯で作ったにぎり飯をふところに入れて、ちょうちんも持たずに、盗人がつるされている桜の木へと向かいました。

 

 うす明りの中に、あの盗人が見えました。彦兵衛さんが近づくと、盗人は彦兵衛さんをにらみつけました。また、たたかれると思ったのでしょう。

 

「にぎり飯を持ってきた。さあ食べよ。」と彦兵衛さんがにぎり飯をさし出すと、盗人はふるえる手で、おそるおそる受け取りました。

 

 盗人は、何か言いたげにしばらく彦兵衛さんを見つめていました。あたりからは、こおろぎの声だけが聞こえてきます。盗人が、にぎり飯を食べ始めると、彦兵衛さんは、家へ帰って行きました。

 

 彦兵衛さんは、それから毎晩にぎり飯を持って行ってやりました。

この盗人、数日間は生きながらえていましたが、とうとう力つきて、さかさづりのまま死んでしまいました。

 

 やがて、大変なことが起こりました。不思議なことに、久野脇村の村人たちは、わけのわからない、フラフラの病人になってしまいました。死ぬか生きるかの境をさまよう病人になってしまったのです。

ところが、彦兵衛さんの家だけは、病人が出ないのです。

どうしたことでしょう。

村の衆は不思議に思いました。

村の衆へのたたりというのでしょうか。

彦兵衛さんのやさしいこころへのお礼でしょうか。

村の衆は弱りきって、ねぎ(神主)さんにみてもらうことにしました。

 

「ばちがあたったのだ。あの男をつるした桜の木を取りのぞけ。」

 

と、ねぎさんは言いました。

 

村人は、おのを持ち寄り、桜の木のまわりに集まりました。

 

「これを切れば、病が治るずらか。」

 

「いくらなんでも、盗人がつるされて死んだ木におのを入れるのは、気持ちのいいもんじゃあないなあ。」

 

村人は、桜の木を見上げながら口々に言いました。

 

「そんなこと言ってたら、いつまでたっても村の病はよくならんぜん。」

 

こう言って、村一番の力持ちの若者が、桜の木に近づいていきました。が、力持ちとはいえ、この男とて病のため青白い顔をしていました。

男は、フラフラしながらも力をふりしぼっておのをふり上げると、桜の木にコンとおのを入れました。

木のまわりでは、村の衆がかたずをのんで見つめています。

 

コン、コン、コン・・・。

 

「化け火だあ。」

 

とつぜん、おのを入れたその切り口から、なんと火が吹き出てきたのです。見ていた衆は、くもの子を散らすように木から離れました。力持ちの男も、こしをぬかしました。

 

村人は、

 

「あの男の血の色だ。」

 

「うらみの火だ。」

 

と、口々に言い、恐れおののきました。そして、桜の木をどうしても倒すことができませんでした。

 

 そこで、困りはてた村人は、心膳寺(今の久野脇集会所のところにあった)へ三津間の子寺をはじめ、近在のお坊さんたちに集まってもらい、「怨霊とりしずめのお経」をあげてもらいました。

 

今度は、おのを入れても化け火はふきません。

そして、村人は、切り倒した桜の木の根っこの所に六地蔵を立て、たたりが早く消えることを祈ったのです。

 

 やがて、久野脇村の悪い病もなくなり、ふたたび平和な村となりました。

 

 六地蔵には、一つの石に六体のお地蔵様がほられており、「文化二年」(1805年)と年号がきざまれています。