ダイダラボッチとたもと石

 

 

 

 久野脇のちかくには、権現山と東京山という高い山があり、その両方の山に、大きな足あとのようなところがあるそうです。

 

 むかし、むかし、ずっとむかし、ダイダラボッチという大男が、この地方に住んでいました。

背たけは、山よりも高く、ものすごい力持ちでした。

あちらこちらの山をこちらに移したり、山をまたいで、のそりのそりと歩きながら、黒法師岳の方へ行ったり、富士山の方へ行ったりしていました。

 

 きょうも、一仕事をおえて、山と山の間に横たわり昼寝をしていました。新緑に彩られた山々をわたってくるさわやかな春風が、ダイダラボッチの顔をなぜてとおります。

長いねむりからさめたダイダラボッチは、うっとりと大井川の美しい景色にしばらく見とれていました。

そのうちにのどがかわいてきたので、足に山をかけ、大井川をまたいで水をのもうとしました。

 

その時、着物のたもとから、一つの大きな石ころがころがり落ちました。

たもとにいれて運ぼうとした石だったのです。

ダイダラボッチはそのことに気がつきませんでした。

ゴクゴクと大井川の水を腹いっぱい飲んだダイダラボッチは、また、山を動かす仕事にとりかかるために、次の場所へ移動して行ってしまいました。

 

大きな石が一つ、久野脇村の西の方のはずれの竹やぶの中に残されました。

その大きいことといったら、一軒の家の大きさぐらいです。

村人たちは、その後、この大きな石を、ダイダラボッチのたもとから落ちた石と信じて「たもと石」と呼び、今の世に伝えています。

 

 

 

 また、場所はかわって、久野脇村の対岸にある「貫の瀬(かんのせ)」、あるいは「神の瀬(かんのせ)」と言われる所の話です。

 

 神無月(陰暦十月)になると、川根すじの神様たちも、出雲の国(今の島根県)へでかけます。その時、神様がここに集まって、出かけた所だと言われています。

 

出雲から帰ってきた時もここに集まり、みんなでにぎやかに話し合ったり、お祭りをしたりした後、ここで別れたとも言われます。

 

 この神の瀬にも「足くぼ」と言われる、大きなくぼ地があり、近くの杉沢という所にもくぼ地があって、ダイダラボッチが、大井川をまたいで立った時にできた足あとで、「足くぼ」と言う、と伝えられています。

 

 このように、大井川のあちらこちらに、大きな足あとを残したり、伝説を残している不思議な大男ダイダラボッチは、本当にいたのでしょうか?

 

 今では、「たもと石」だけが、久野脇村の西の方、静かな竹やぶの中に、どっしりと動かないで、大男の伝説を伝えています。