すりばちくぼの大蛇(すりばちくぼのだいじゃ)

 

 

 

 久野脇の村の西の方に連なる山なみの中に、ひときわ高い山があります。

 

晴れた日には、頂上から御前崎の海を見ることができます。この山を村の人たちは、「すりばちくぼ」と呼んでいます。それは、この山のいただきに近いところに、すりばちの底のような形をした、深い池があったからです。

 

この池は、いつも満々と水をたたえていました。

 

 いつのころかわかりませんが、この池に大蛇が住んでいるという話が伝わっていました。だから、土地の人たちは、近づくことはありませんでした。

 

 池の周囲は約二町(約200メートル)、周りはこんもりとした、かしの木やぶなの雑木におおわれ、いつも無気味に静まり返っていました。

でも、一方の南口だけは、開かれていて沢に続いていました。ここは、野生動物の水飲み場でもあったわけです。あたりの山は、かし、なら、くりなどの木が多く、いのししや、さるなどがたくさん住んでいました。

 

 ある年の秋の終わりごろ、山の向こうの熊切(今の春野町)の猟師が、ねらいをつけた鹿を追って、このすりばちくぼまでやって来ました。

 

 猟犬に追いつめられたこの鹿は、「ケェーン。」と一声かん高い声を残すと、池のそばにあった大岩から池に向かって飛び込みました。

 

(しめた。)

 

猟師は、鉄砲で狙いを定め、いざ打とうとした時、あっけにとられる光景に出会いました。それは、飛び込んだ鹿が、足の方から池の中に引きこまれようとしていたからです。

 

「あっ。」

 

と猟師は、息をのみこみました。その時、水面がざわついて、大蛇が鹿を半分飲みこんだ首を表したのです。

 

 次に、首を猟師の方に向けて、かっと目を見ひらき、今にもおそいかかるかの様子をしめしました。

 

(これはたいへん。鹿の次に自分が飲みこまれてしまう。)

 

と猟師は考え、思わず、取り上げた鉄砲で大蛇の首にねらいを定めると、一発打ちこみ、まるくなってにげました。

 

 その当時、へびを殺すとたたりがあるといわれていたので、この猟師は家に帰っても、だれにも話さずにだまっていました。

 

 ところが、そのことが気になって仕方がありませんでした。三年ほどなにごともなく過ごすことができたので、もう一度行ってたしかめてみたくなりました。

 

 なかまの猟師にわけを話し、いっしょに行ってもらうことにしました。それは、もし、大蛇が生きていて、おそわれるとたいへんだと思ったからです。

 

四、五人で連れだって来てみたところ、池はあいかわらず静まりかえって、生きもののいる気配はしません。漁師たちは、池に石を投げ入れてみましたが、かわったことはありません。

やっと安心して池のまわりを歩いてみました。すると、漁師たちの先を走っていた猟犬たちが、何かをとり囲んでほえていました。

 

「なんだ。」

 

猟師が犬をかき分けてのぞきこんで見ると、へびの形をした白骨が、池の出口から谷にそって横たわっていました。たしかめてみると、目と目の間に、鉄砲の玉ら

 

しい穴があいていました。あの時の大蛇だったのです。

 

「この骨はめずらしい。何かの薬になるかもしれない。」

 

と漁師たちは、持ち帰りました。

 

 そのころ、漁師たちのすんでいた熊切村筏戸(今の春野町)あかぎれの薬を作って、「いかんどこう」と名づけて売っていました。

そこで、この大蛇の骨を粉にして、まぜ合わせ、作ってみることにしました。

 

 売ってみると、めずらしさとききめがあることで、大評判になり、売れに売れて、その猟師は、大金持ちになったということです。

 

 今は、このすりばちくぼも、安政の大地震で、一方がくずれ、満水の池の水があふれ流れ出し、口があいたような後を残すのみとなりました。